古い時代からの様々な形状の都市計画に対して、時代の変化に追従して自在に変化できる都市をデザインしようとする思想が出てきたのは、1960年代です。我が国でもメタボリズム思想として知られるグループが出て、大阪で開催された万国博覧会に向けて多くの建築家、都市計画家らが数々の都市・建築の提案を行いました。建築家の故菊竹清訓氏もその一人でありましたが、同氏は、1971年のハワイ海上都市構想において、全体の構造をモジュールユニットで構成させて造り、また、メガストラクチャーと個室の組み合わせで建築物をデザインさせたりしてその思想を取り入れました。一般論として、海上都市は海上に浮かび、広大な海の水平方向に自由に発展させていけることから、構造的にメタボリズムの考え方は特に取り入れやすかったのです。そして、この時代は、次世代に向けて、いろいろな海上都市の構想が提案され、広く海に生活空間を求めるなど、夢みる時代でしたが、ほとんどの構想案はその時代の技術的な未熟さゆえ、実現性が乏しかったのです。
一方、1980年頃から急速に発展した造船技術者らによる浮体技術は、種々の海洋構造物を実現させてきました。特に、海底石油の生産に関連する浮体式海洋構造物の技術革新は目に見はるものがあり、過酷な自然環境においても浮体が安全に活動できるようにもなりました。1990年代に入り、我が国では、浮体式の洋上空港の建設を目指して造船界を中心にメガフロート計画(1995~2000)が実施されました。この浮体式空港建設を目指した全長1,000mの巨大構造物は、その大きさから、造船ドック内で建造することが不可能であったため、多数の浮体モジュールユニットで構成したデザインとし、しかも海上において実際に繋ぎあわせて造り上げることを実証して見せたのです。この浮体モジュールユニット化が可能になったということは、今まで夢物語としてしか見られてこなかった海上都市の実現に向けた大きな進展といえます。一般的に、時代と共に変化できるコンパクトな都市を地上で実現させようとすると、構造物の基礎が地面に固定されている状態では困難です。浮体モジュールユニットにより構成された都市基盤が活用されることにより、浮体都市は、人口の増減、機能の変化等に対応でき、また、複数の場所での同時建造が可能で、大幅な工期の短縮が可能となったのです。
一般に、浮体は建設コストが極めて高い負のイメージがあります。確かに、船舶や石油掘削構造物といった特殊な形状を持つ浮体は技術的な要求上、建設コストは極めて高くなります。これに対し、シンプルな箱形のポンツーン型浮体は、メガフロート建設で示されたように、それほど多額の費用を必要としません。また、今一つ浮体が信頼されないのは、これは、あくまで海上においてではありますが、波浪や潮流といった自然環境が厳しいことと、水が浮体内に侵入することで浮体が海中に転覆・沈没してしまう恐れのあることでしょう。しかし、陸上に造られる水深の浅い人工池では船のように沈没する危険もなく、又、海上のような厳しい海象条件もないので、浮体は水上で極めて安定した構造物となり、地震に対しても安全な構造物となります。従来は、土地に定着した構築物が自然外力に対して安全、安心と信じられてきましたたが、津波や地面の液状化により地上の構築物が壊れる心配があること、堤防決壊、ゲリラ豪雨による家屋への浸水等で、今や陸上の建築物は安全ではないと考えられるようになってきました。
Hawaii's Floating City Project 1971
(Dr. John P. Craven and Kiyonori Kikutake, Architect)